これは、父が20代の頃の体験だ。
静まりかえった冬の夜、父は車で山を越えようとしていた。
急斜面を、ガタガタとタイヤを軋ませながら走っていると、前方に人影が見えた。
パジャマ姿のおじいさんとおばあさんだった。
こちらに背を向け、手を繋いで、ゆっくりと山道を登っていく。
仲むつまじい夫婦だと微笑み、スピードを落としかけたところで、思った。
おかしい。
こんな寒い夜に、急な山道を、寝間着で、ライトも何も持たずに、歩くだろうか。
車は走り続ける。
2人の背中がどんどん近づいてくる。
すれ違う瞬間、目を伏せた。絶対に、顔を見てはいけない気がした。
強烈な寒気を背後に感じながら、バックミラーを見ないようにして、山道を走り抜けた。
あのとき、ふたりの顔を見ていたら、どうなっていたのだろうか。
幻覚だったんじゃないの?
お父さん、一度病院で診てもらった方がいいかもね。
修学旅行の夜、私がそう怪談を締めくくるやいなや、話を聞いていた同級生のひとり-ここでは「○○ちゃん」とする―がそう言い放った。むっとして、
もう○○ちゃんには怖い話はしません!
えー、だって私、お化けとか非合理的なもの信じてないんだよね。
いやいや、暑いからなんか怖い話してって言ったのは○○ちゃんじゃん!
人間が怖い系の話してくれると思ったんだよ~
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なんてことがあったなあ、と、同窓会で久々に会った○○ちゃんを見ながら思った。挨拶もそこそこに、彼女はこう言い放ったのだ。
女の子と付き合ってるんだって?
日本では辛いことばかりだろうから、海外に行った方がいいかもね。
…彼女も私も日本で育って日本で働いてるし、日本に住むよ
そう返して、会話は終わった。
彼女が私と目を合わせることはなかった。
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それから、夏が来て、ホラー映画や漫画の広告を見かけるたび、○○ちゃんのことを思い出す。
彼女にとって、同性と付き合う人間は、幽霊と同じくらい信じられない存在だったのだろう。
だから、国外への移住という「解決法」を提示することで、私の存在を否定し、心の安寧を得たかったのだと思う。かつて、私の父に精神科の受診を勧めることで、幽霊の存在を否定したように。
けれど、○○ちゃんは気づいていただろうか。
この世には、自分と違う見た目や考えを持つ人間を、それで相手がどれだけ傷つくかなど、一切考えもせずに、いないものとして―幽霊のように―扱う人が沢山いる。
だからこそ、親友であった彼女には、私の存在を肯定してもらいたかった。
ぬるい湿気の中、布団に転がってYouTubeの短編ホラーを見ながら思った。
いつか、○○ちゃんが、私の顔を見てくれる日がくるだろうか。
コメント / COMMENT
ご無沙汰です、ばんばです。
早速ですが、この内容はとても腑に落ちました。ネットでも見かける、「嫌なら海外に行けば良い」「それを選んだのは自分」といった、自己正当化の言葉。
自業自得とは近いようで、混ざり合わない表現に、ずっと違和感があったので、勝手にスッキリしちゃいました。
ばんばんさんありがとうございます!!自分と違う存在を認めないことで自分を認める、という側面はあると思うんですよね。