Not all menはごめんです

レシピ / RECIPE

(本レシピのポイント(作成者:ちろちろ))

✔ つらい経験を話したとき、即座に「私はそんな経験ない」と否定されたこと、ありませんか?

✔ なんでそんな反応になるのか&「まずは受け止める」ことの重要さを考えます。

最近、オンライン勉強会等で自身の気づきや差別体験を語る機会が重なったが、毎回、私が話した(辛い)経験について、「私にはそんな経験はない」と、わざわざ言う人がいた。 

具体例①:女性差別について

私

セクハラ体験があって・・・女はやっぱ使えないと言われて・・・

Aさん
Aさん

女性差別なんてあります?私はそんなこと一度もしていません

私

はあ…


具体例②:有害な男らしさ男はこうあるべきだという偏った男らしさについて

私

私の同僚の男性で、弱音を吐くと怒られたり、飲み会の席で裸踊りをさせられたり、無理やりキャバクラに連れていかれたという人がいて…

Bさん
Bさん

私はそういう経験は一度も無いです。

私

そ、そうですか…

正直、「だから何?」と思った。
「ウクライナで戦争が起きている」と言う人に、
「日本では起きていません」と返すぐらい
無意味な反応だと思った、のだが・・・
あまりに同様の反応をされるため、なぜそんなことを言うのか、その意味を考えてみた。 

仮説①:社会に欠陥があることを否定したい 
 まず思ったのはこれだ。人間というのは、無意識に「この世界は公正で公平だ」と信じたい生き物であり(公正世界仮説)、傷ついた人がいる場合、「それはその人に落ち度があったからであり、この社会に問題があるからではない」と考えがちだ。

 性被害にあった人を「誘うような格好をしていたから」と責める、などが典型例だが、私に「そんな経験はない」と言ってきた人たちは、私を責めるつもりはないようだった。ゆえに、この仮説はあたらない気がする。

仮説②:相槌として、自分の経験を共有している 
 では、単なる相槌なのだろうか。
「マカロンって美味しいんですよ」
「へ~、マカロン食べたことないです」的な。

 しかし、お菓子の話ならともかく、深刻な話をしているときにそんな相槌を打つだろうか?一応、私の話を真剣に聞いてくれていたが…。

仮説③:そんなことをしない人もいる(≒Not all men)と反論している 
 となれば、思いつくのは、「全ての人がそうではない」と言っている可能性だ。ミカン箱の中にひとつ腐ったミカンがあったからといって、全てのミカンが腐っているわけではない、という論法である。

 例えば、アメリカのBLM(Black Lives Matter)運動のとき、警察を批判する声に対して、「全ての警察官が悪いわけではない」との反論があったのがこれにあたる。具体例①の人が「女性差別なんてあるのか(=全ての男が女を差別しているわけではない)」と発言していたこともあり、一番しっくりくる仮説だ。

しかし・・・だとしても。
引き続き、だから何?である

私は勿論、全ての人が差別主義者だなんて思っていない。ただ、腐ったミカンは取り除かれるべきだし、そもそもミカンが腐らないようにすべきだと思っており、その解決策を一緒に話し合いたいのだ。それに対して「腐っていないミカンもある!」と反論されても、「私は関係ない」と言われているようにしか聞こえず、「そうですか・・・(こりゃだめだ)」で話が終わってしまう

このブログを見ている方も、いつか、身近な人から、性別・性自認・性的指向を巡る社会問題や差別に関する悩みや苦しみを打ち明けられるかもしれない。そのとき、まずすべきは、脊髄反射的な否定や反論ではなく、「そうなんですね、辛かったんですね」と、その痛みを受け止めることだ。

建設的な議論は、そこから始まる。

コメント / COMMENT

タイトルとURLをコピーしました