(本レシピのポイント(作成者:ちろちろ))
✔ 遅ればせながら『きのう何食べた?』&『ミラベルと魔法の家』を観た。
✔ マイノリティ応援系映画として、よくできた作品だと感動しつつも、同時に「ある限界」を感じてもどかしくなったので、ネタバレ感想をお届けします。
遅ればせながら『きのう何食べた?』&『ミラベルと魔法の家』を観た。
〇 『きのう何食べた?』は、中年ゲイカップルが世間の偏見や拒絶に葛藤しつつも、美味しいものを食べたり、ゆっくり話し合ったりしてそれを乗り越えていく話。
〇 『ミラベルと魔法の家』は、魔法を授けられた家族の中で唯一魔法の力を持たない少女ミラベルが、その事実に苦しみながらも奮闘してそれを乗り越えていく話。
邦画と洋画、日本とコロンビア、ゲイカップルと少女、食事と魔法…全く異なると思いきや、この2作品、驚くほど似ている。というのも、どちらも
【家族との対話】を通じて、【マイノリティが困難を乗り越える】映画なのだ。
両主人公とも、マイノリティであるために家族という近しいはずの存在から拒絶され、苦しむが、それを根気強い対話による相互理解で乗り越える。
これは、確かに多くのマイノリティにとって、勇気づけられるストーリー展開だ。マイノリティの多くは、家族との関係に悩んでいる(私も、父や母との関係は未だに手探りだ)。そんな私たちに、これらの映画は、「今は家族と分かり合えなくても、対話を続ければ、いつか、全てを分かり合えなくても、どこかで折り合いをつけられる日が来る」と告げてくれる。実に感動的だ。
ただ。
ひとりの性的マイノリティとして、エンドロールを眺めながら、どこか痒いところに手が届かないもどかしさを感じた。どちらの映画も、家族と仲直りして終わりだからだ。
友人。同僚。
すれ違う通行人。
政治家や行政機関。
悪意ある匿名のメッセージ。
社会の価値観や固定観念。
そうした存在は一切、ストーリーの本筋に関わらない。
どちらも、家族を軸に据えたことで「内向き」な物語となり、「外の世界」と隔絶されてしまっている。『きのう何食べた?』のキャストや制作陣は、同性婚実現やLGBTへの差別に声を上げただろうか?ノーだ。『ミラベルと魔法の家』のキャストや制作陣は、世界の様々な場所で未だはびこっている前時代的な家父長制を批判したか?ノーだ。
どんどん小さくなる世界で家族の問題だけ解決しても、「個人」が救われるだけで、マイノリティという「集団」の境遇は変わらない。それは、誰かにとっての「ハッピーエンド」ではあっても、マイノリティにとっての「エンパワメント」ではない。
どちらの映画も、暴力ではなく対話によって困難を乗り越えるという「令和の理想の解決策」を示してくれており、その方向性はとても正しいと思うからこそ。もう一歩踏み込んで、社会そのものの変革につながる作品が生まれてほしい。これらの映画が、その礎になることを、いちマイノリティとして祈っている。
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