(本レシピのポイント(作成者:ちろちろ))
✔ 母と夫婦別姓を巡って大げんかしてから、ずっとわかりあえないと思っていた
✔ でも、変わらない人なんていない。
私は選択的夫婦別姓に賛成だ。小さいころから両親や祖父母に「あなたは結婚すると姓が変わってしまうから残念」「一緒のお墓には入れないねえ」と繰り返し言われて育ったことは、私の自己肯定感を大きく傷つけ、「女」である自分を長く認められなかった大きな要因になった。「必ずしも相手と同じ姓にしなくてもいい」と法律が保障してくれることで、救われる人は多いと思う。
一方、2015年に続き、2021年の夫婦別姓訴訟でも、夫婦別姓を認めない民法の規定は「合憲」との最高裁判断がなされた。
行政官としては、最高裁が「国会において評価されることが原則(なので裁判所は2015年の判断を変更しない)」との判断を下したことには一定の合理性があると思う。今年の国会でも、選択的夫婦別姓について何度も議論が交わされた。
とはいえ、女性の生き方や若い世代の価値観が大きく変わっていく中で、国会の議論がいまだに「日本の伝統」「夫婦の一体感」といった旧態依然とした概念から脱せていないことを考えると、暗澹とした気持ちになるのは確かだ。
とはいえ―私は一筋の光明を見出している。
というのも、夫婦別姓をめぐって、中学生の頃、母親と大喧嘩したことがあるのだ。始まりは、朝食時に流れていた夫婦別姓のニュースに母親が、以下のようにつぶやいたことだった。
お嫁さんが「私はあなたの家の姓にはしたくない」なんて言ってきたら、正直、嫌な気持ちになるんじゃないかな。「家族じゃない」って言われたような気がして。
私は、こう返した。
じゃあ、お母さんは私が改姓したら「家族じゃない」と思うんだね。
そこから、
そういう意味じゃない。なんでそんな言い方するの
いや、そういう意味にしかならないじゃん。論理的に説明してよ
あれよあれよという間に押し問答になり、最終的に母親が怒り心頭で席を立ち、私は食べかけのごはんにボタボタと涙をこぼして号泣するという事態までヒートアップした。母親の「こいつ何言ってるんだ?」という顔が、今でも脳裏に焼き付いている。
それきり、この人には一生わかってもらえない、と諦めていたのだが。先日、夫婦別姓訴訟のニュースが流れた際、母はこう言った。
お母さん、夫婦別姓、いいと思う。
えっ
とっさに固まる。母がしゃべり続ける。
何回か、夫婦別姓にしてる人にも会ったし。子どもの保護者確認をマイナンバーでするとか、そういう制度的なところを整える必要があると思うけど、別姓にしたい人はそうすればいいと思うのよね。
一瞬、寄生獣にのっとられたのかと思ったが、しばらく待っても捕食されなかったので、目の前のこの人はやはり母なのだろう。
そうか、人は、変わる生き物なのだ。
なにが正しくて、なにが間違いなのか。それをどんなに断定的に語る人であっても、どんなに、一生変わらないように見える人であっても、変わることはある。他者とのふれあいを通して、変わる。母が、夫婦別姓を選択した人と交流することで変わったように。
それは、私の心に、一筋の光となって差し込んだ。正直、ここ最近、残念なニュースばかりでネガティブになっていた。自分と相いれない考えを持つ人を説得することは不可能だと思っていた。だが、現に、こうして変わった人がいる。
法「改正」とは、法の「間違った部分を正す」ことだ。「正しさ」は時代によって揺れ動くから、ある法律を―民法にせよ、戸籍法にせよ―改正しようとすれば、必ず、従来の「正しさ」と、新しい「正しさ」との間の衝突が起こる。そこで生じる他者との交流は、その過程で沢山傷ついたとしても、きっと私たちを良い方向に「変える」だろう。年を重ね小さくなった母の背中を見ながら、そう思った。
コメント / COMMENT