✓ 最近、日本におけるLGBT+の権利を考えるうえで重要な判決が次々出ているので、「犯罪被害者給付金」関係と、「トランスジェンダーの手術要件」関係の判決の要点をまとめます
✓ 三権分立の原則をとる憲法のもと、日本には立法権(国会)・行政権(内閣)・司法(裁判所)があるわけですが、なかなか動かないほかの二つに裁判所がエールを送っているよう
LGBT+関係の権利擁護の動きが鈍い国、日本。
…が、そんな状況が、司法の判決を受けて徐々に変わろうとしています。同性同士でも結婚できる権利を求めた「結婚の自由をすべての人に」裁判は、このブログでも紹介してきましたが、最近もいくつか重要な司法の判断が行われました。
このブログでは、「犯罪被害者給付金」と「トランスジェンダーの手術要件」に関する判決について、簡潔に内容をご説明したいと思います。どちらも非常に大きな意義と影響のある判決です。
「犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律」では、犯罪被害者が死亡してしまった場合、その「配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者を含む)」に、遺族給付金を支給することとされています(第5条第1項)。この「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に、同性パートナーが含まれるかが争われました。
最高裁判決は「含まれる」。長いので理由をまとめると、「犯罪被害者等給付金は、犯罪被害者の死亡で精神的・経済的ダメージを受ける人をサポートするためにつくられた制度で、そのサポート必要性の高さは、異性パートナーでも同性パートナーでも同じだよね。だから、犯罪被害者等給付金は同性パートナーの人にもあげられるっしょ。あ、ちなみにほかの制度がどうかは、それぞれの制度ごとに考えてね」というもの。
犯罪被害者等給付金の支給制度は、犯罪行為により不慮の死を遂げた者の遺族等の精神的、経済的打撃を早期に軽減するなどし、もって犯罪被害等を受けた者の権利利益の保護が図られる社会の実現に寄与することを目的とするものであり、同制度を充実させることが犯罪被害者等基本法による基本的施策の一つとされていること等にも照らせば、犯給法5条1項1号の解釈に当たっては、同制度の上記目的を十分に踏まえる必要があるものというべきである。
…(中略)…
犯給法5条1項は、犯罪被害者等給付金の支給制度の目的が上記のとおりであることに鑑み、遺族給付金の支給を受けることができる遺族として、犯罪被害者の死亡により精神的、経済的打撃を受けることが想定され、その早期の軽減等を図る必要性が高いと考えられる者を掲げたものと解される。
…(中略)…
そうした打撃を受け、その軽減等を図る必要性が高いと考えられる場合があることは、犯罪被害者と共同生活を営んでいた者が、犯罪被害者と異性であるか同性であるかによって直ちに異なるものとはいえない。 …犯罪被害者と同性の者は、犯給法5条1項1号括弧書きにいう「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者」に該当し得ると解するのが相当である。
…(中略)…
上記文言と同一又は類似の文言が用いられている法令の規定は相当数存在するが、多数意見はそれらについて判断したものではない。それらの解釈は、当該規定に係る制度全体の趣旨目的や仕組み等を踏まえた上で、当該規定の趣旨に照らして行うべきものであり、規定ごとに検討する必要があるものである。
出典:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/849/092849_hanrei.pdf
…え?犯罪被害者の話だから限定的なんじゃないかって?実はそうじゃないのです。最高裁も最後にぽそっと補足しているように、この「配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者を含む)」という規定、いろんな法律に存在するのです。e-gov法令検索(https://elaws.e-gov.go.jp/)でちょっと調べただけで、ほら、このとおり。
たとえば一番上に出てくる「健康保険法」では、被扶養者の定義に「被保険者の配偶者(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む)」を含めています。配偶者が働いているときにその扶養に入れるかって、めちゃくちゃ大きな話ですよね。
このため、今回の判決を踏まえ、各省、それぞれの所管法における「事実上婚姻関係と同様の事情にある者」の解釈について、同性パートナーを含むかどうか、判断を迫られている状態。既に超党派議連が政府に「司法判断は前進しつつある。法律や制度に反映させていくのが立法府の役割だ」と述べており、今後、関連法規の解釈が大きく動く可能性があります。
こちらは「トランスジェンダーの人が性別変更するための要件」をめぐる裁判です。現在、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」に基づき、トランスジェンダーの人が戸籍上の性別を変更するためには以下の5つの要件を満たさなければなりません。
一 十八歳以上であること。
二 現に婚姻をしていないこと。
三 現に未成年の子がいないこと(「子なし要件」)。
四 生殖腺せんがないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること(「生殖不能要件」)。
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること(「外観要件」)。
この裁判では、このうち四号(生殖不能要件)と五号(外観要件)が、憲法の保障する「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由」に違反しているかどうかが争われました。判決は以下の通りです。こちらも長いので要旨をまとめると、「生殖不能要件のほうは、社会の理解も進んできたし、医療も進歩しているし、他の国でも要件としなくなってきているんだから、制約として過剰で違憲。外観要件のほうは、高裁でもう少し話し合ってください」というもの。
特例法の制定当時に考慮されていた本件規定による制約の必要性は、その前提となる諸事情の変化により低減しているというべきである。
…(中略)…
本件規定は、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対して、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を実現するために、同手術を受けることを余儀なくさせるという点において、身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができ、このような制約は、性同一性障害を有する者一般に対して生殖腺除去手術を受けることを直接的に強制するものではないことを考慮しても、身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないというべきである。
…(中略)…
本件規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度な身体的侵襲である生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るものになったということができる。また、前記の本件規定の目的を達成するために、このような医学的にみて合理的関連性を欠く制約を課すことは、生殖能力の喪失を法令上の性別の取扱いを変更するための要件としない国が増加していることをも考慮すると、制約として過剰になっているというべきである。 そうすると、本件規定は、上記のような二者択一を迫るという態様により過剰な制約を課すものであるから、本件規定による制約の程度は重大なものというべきである。 以上を踏まえると、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約については、現時点において、その必要性が低減しており、その程度が重大なものとなっていることなどを総合的に較量すれば、必要かつ合理的なものということはできない。 よって、本件規定は憲法13条に違反するものというべきである。
…(中略)…
原審の判断していない5号規定に関する抗告人の主張について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
出典:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/527/092527_hanrei.pdf?ref=factcheckcenter.jp
そして2024年7月10日、高裁判決が出ました。以下のNHKの記事が詳しいのですが、要は外観要件について、「他の人が見た時疑問を感じなければOK」とし、手術なしでも外観要件は満たされるという考え方を示したものになります。
こちらは最高裁判決ではないのであくまで今回のケースについての個別判断ではありますが、4・5号は事実上手術を求める規定と解釈されていたので、画期的な判決になります。
少なくとも、4号は「違憲」とはっきり言われ、5号も違憲疑いがあると言われたことにより、性同一性障害者特例法の改正は待ったなしで、立法権・行政権の行動が求められることになります。我が国にしか存在せず、かねてから批判の多い「子なし要件」など、残りの1~3号についても、改めて考え直さねばなりません。
特に、この話はすでにバックラッシュやあらぬ偏見を引き起こしています。たとえば、この判決は戸籍変更の話で、お風呂やトイレの話とは全く関係ないのですが(お風呂やトイレで住民票やマイナンバーの提示が求められるわけではない)、すでに「この判決のせいで、身体が男性の人間が、心は女と言い張って公衆浴場に入ってくることになる!」といった誤った言説が広がっており、こうしたヘイトスピーチや差別・偏見の増幅を防げるかどうかも、立法・行政の責任として重くのしかかっています。
まとめると、これらの2つの判決は、三権分立をとる日本において、なかなか重い腰を動かさない立法・行政を、司法が叱咤激励する動きのようにも見えます。どんな人でも安心して過ごせ、苦しいときは守られる社会の構築に向けて、立法・行政はしっかり司法のパスを受け止めていかなければならないと考えます。
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