ハロウィンと「放っておいてもらう権利」

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✓ 今年のハロウィンは彼女と仮装しました!

✓ そのときの父親の「男が女の恰好したり、女が男の恰好したり気持ち悪いな」という発言に、ふだん彼女が受けている仕打ちのことなど思い出し、「放っておいてもらう権利」は「放っておく義務」と裏腹なのにな、と思った次第です。

彼女と江戸の風情を残す水郷・佐原市に遊びに行った時、さわら舟に乗って観光していると、人気漫画のコスプレで撮影している人がいた。

すると、舟に同乗していた親子連れの両親が、

父

あれ、男かな、女かな。ハロウィンじゃないのにねw

母

ほんとだ~wどっちだろw寒そうw

みたいな冷笑的会話をしていて、嫌な感じだな…と思っていたら、

息子
息子

どっちでもいいよそんなの!!ほっときなよ。

と、息子さん(10歳ぐらい)が一蹴していて、この子、このまま大きくなってくれたらいいな、と思ったのだった。

…そんなことを、2023年10月29日、私は池袋で思い出していた。父親の好きな舞台を観に行こうと母親が誘ってくれて、久々に家族3人でお出かけしたのだ。ちょうどハロウィンフェスの真っ最中で、往来にはコスプレをした人がたくさんいた。

父親が、ため息をつく。

「男が女の恰好したり、女が男の恰好したり気持ち悪いな」

別にあなたに関係ないでしょ、と言いたい気持ちをぐっとこらえた。なんといっても、うちの父親はSuicaグッズを身に着けることすら「男には可愛すぎる」と拒否する(下記参照)、トキシックマスキュリニティに骨の髄まで浸かった人間だ。

街をゆく人は、色とりどりの恰好に身を包んで楽しそうだった。ちょうど前日に彼女と仮装して出かけていたこともあり、胸が痛んだ。どうして他の人を「放っておく」ことができないのか

それは、彼女と出かけるたびに思うことでもある。飲食店で彼女が先に入ると、店員さんが固まったり不自然な間のあとに私だけに話しかけてきたりする。彼女は日本語で「二人です」と伝えているにもかかわらず、彼女の見た目が「日本人らしくない」ことに戸惑っている、ということを表明してくる。お土産を買うときなどは特にひどくて、「日本語上手ですね」「どこの国から来たんですか」などと話しかけてくるので、なるべく私が買うようにしている。

善意で言っているのかもしれない。それでも、私は一度も「日本語上手ですね」とも「どこの国から来たんですか」と言われたことはない。見た目で態度を変えたり、見た目に基づいて声をかけたりということが、どれだけ人を傷つけるか、私は彼女の隣で日々知っている。

たま~に何も言われないことがあると、「今回はセーフだったね」と二人で喜ぶ。なんて悲しいよろこびだろう。

数々の裁判を経て、「プライバシー権(放っておいてもらう権利)」は、我々の暮らしに根付いてきた。けれど、放っておいてもらう権利が、放っておく義務と裏腹だということは、余り理解されていないのではないか。

ハロウィンが時間をかけて日本の生活の一部になったように、ハロウィンじゃなくても、好きな恰好をしていいんだということ、他の人の外見を「放っておく」べきであることが、少しずつこの社会の常識になっていけばいいと思う。

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