【感想記事】舞台「歌雪姫と七人のこびとーず」

レシピ / RECIPE

✓ Get in touchの東ちづるさんが企画・構成・演出を担当する「まぜこぜ一座」の舞台『歌雪姫と七人のこびとーず』(3/5上演)を拝見してまいりました!

✓ 「義足・車椅子ダンサー、全盲の落語家、糸あやつり人形、ドラァグクイーン、こびとなどなど…」(パンフレットから引用)が活躍する舞台ということで、わくわくしながら見てきた感想について、よいと思った点と「うーん…」と思った点を率直に述べたいと思います。

3月5日(日)に上演された、舞台『歌雪姫と七人のこびとーず』。

誰も排除しない「まぜこぜの社会」を目指して活動する一般社団法人Get in touchの東ちづるさんが企画・構成・演出された舞台である。普段、なかなか活躍の場を与えられなかったり、「イロモノ」として扱われることが多い人たちが”魅せ者”としてパフォーマンスを繰り広げる。

今回、縁あってきゃんきゃんと拝見してきたので、忌憚のない感想を述べようと思う。

まず、いい点から言うと、このような舞台を実現したことだ。東さんのTwitterを拝見すると、本当に手鍋で、ボランティアの方々と一緒にすべてを一から作り上げておられて、敬服する。

様々な個性や特性のあるパフォーマーの方々に集まっていただくだけでも、大変な苦労があったと思うし、重ねた稽古や打ち合わせのことを考えると、沢山の方々の数えきれない努力の上に成り立っている奇跡の舞台だと思う(そもそもそうした努力を強いるこの社会自体に問題があるのだが)。渋谷区という、多様性を尊重する社会を作ろうとしている自治体での開催になったことも、大きな意味を感じる。

こうした舞台を作ろうという人たちがいて、それを支えようとする人たちがいるという事実が、勇気と希望をくれるのは間違いない。

また、出演者の方々のパフォーマンスはどれも素晴らしく、時間を忘れて見入らせていただいた。特に「両声類」シンガーの「悠以」さんの、性別なんかどっちだっていいじゃない!という歌い上げには、トランスジェンダー差別が蔓延る中、万感迫る思いがした。

そのうえで。ひとりのマイノリティとして、あえて改善点をふたつ言わせていただく。

①テーマが曖昧だった

舞台の冒頭、出演者の方々がマクベスの有名な一節「きれいは汚い、汚いはきれい」を仰る。この台詞は「美しさ」や「正しさ」というものが時代や環境によって揺れ動くことを暗示したものだ。この劇が既存の価値観を問い直し、誰も排除しない「まぜこぜの社会」を目指すものであることを宣言する、よいオープニングだと思う。

思うのだが。

舞台の終盤で提示されるのは、「がんばるマイノリティは美しい(から正しい)」というメッセージであり、この冒頭シーンに明確に矛盾している。マイノリティが努力することを「美しい」と表現してしまうのは、エイブリズム(能力のある人が優れているという考え方)に他ならず、「感動ポルノ」と揶揄される24時間テレビとやっていることは変わらない。

「自分の価値は自分で決める」というメッセージも併せて提示され、大団円となるのだが、マイノリティは自分の価値を自分で決められないのだ。社会が「お前は劣っている」と勝手に決めてくるのだから。社会に対する批判と改善案を示してこそ、「まぜこぜの社会」が実現できるはずで、「マイノリティが自分で輝けばいい」という結論に着地するのは残念だった。

さらに言うと、
・東さんはじめ舞台の主催者側(権力者側)の人たちが、マイノリティの人たちの意思表示・表現を、暴力で「黙らせる」シーン
・同じく東さんたちがマイノリティの人は「かわいそうだから配慮して」いる、「若い子はパワハラとかすぐ言うのでめんどくさい」、と愚痴をこぼすシーン
・歌雪姫に対するネットリンチを引き起こした張本人が何のお咎めもなく許されるシーン
もあり、ここに関しては意味不明を通り越して不快だった。

そもそも、相対的に特権側に属するはずの東さんやドリアンさん(ドラァグクイーン)、三ツ矢さん(声優)が出ずっぱりで、マイノリティ側の人たちが完全に端役に追い込まれている印象があった(ちびもえこさんのバーレスクダンスが見られなかったのは残念だった)。

伝えたかったテーマに脚本や演出が追い付かなかった印象が否めない。

②全般的に説明不足だった

さらに、非常に嫌な気持ちにさせられたのは、

・外見至上主義(ルッキズム)が頻繁に出てくる(誰がこの世で一番美しいのか、という白雪姫の台詞を言わせたかったのはわかるのだが…)
・「おかま」という差別用語が頻出する
・「ゲイは女言葉で男好きで野太い声である」というようなステレオタイプが繰り返し登場する
・「血が混ざっている」といった血統主義的な表現がある
・エイズはゲイがかかる病気であると思わせる描写がある(現在ではゲイよりヘテロセクシャルのエイズ患者の人の方が多い…)
・過度な年齢いじりがある(かつ、特定の年齢層しかわからないネタが多用される)
・過度な宗教いじりがある(「やばい宗教に入ってんじゃない?」的な)
・身長が小さい人を身長が大きい人が同意なく持ち上げるシーンが何度もある
・身長が小さい人が身長が大きい人に「従属している」表現が繰り返される(「洗脳されている」と決めつけられたり、看病といったケアを担わされたり、他出演者の紙吹雪を片付けさせられたり)
・ミックスルーツの方々を映す映像に「アフリカっぽい」映像が何度も混じる
・SOCIAL WORKEEERZのひとりがバントゥーノットをしている(文化の盗用)
・ダウン症のパフォーマーの人の名前が呼ばれない

など、社会のステレオタイプや偏見、差別を強化するような演出・台詞回しが頻出したことだ。

説明や注釈があるものだろうと、ずっと期待して観ていた。こういう偏見があるんです、と注意喚起してくれるのだろうと。しかし、一切の言及もなく、舞台は終わってしまった。これでは、観た人の偏見を強化しただけである。あの舞台を鑑賞した人は、帰宅して家族に言っただろう。
「アフリカの血が入った人はリズム感が違う」
「おかまって男を押し倒すことしか考えてない」
「エイズってやっぱりゲイがなるんだね~」
等々…。暗澹とした気分になった。

何度も言うが、この舞台自体は非常に大きな意義があると思う。難しいテーマに正面から挑んだこと、予算や時間が不足する中で熱意をつぎ込んだ人がたくさんいたこと、本当に頭が下がる。

しかし、だからこそ、「大変な中でマイノリティが頑張ったんです、マジョリティの人たちはすごいねって言ってください」で終わりではなくて、そんなに大変な思いをさせる社会自体を批判し、マジョリティの人たちの傲慢さを糾弾し、マジョリティもマイノリティもみんなで住みやすい社会を作ろう!というメッセージを打ち出すべきだった。この舞台が小さくまとまった、既存の価値観にしがみついたもので終わってしまったこと自体に、今の日本社会の限界が如実に表れていると思わざるを得ない。

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