オリンピックを語ろう!

レシピ / RECIPE

(本レシピのポイント(作成者:ちろちろ))

✔ 7月にLGBT法案についてZOOMで語る会を開いたのですが、今度はオリンピックについて議論してみました。

✔ 結果、もやもやを言語化することの重要性を強く感じたのでした。

1.「オリンピックについて語る会」を開催しました

今年の7月、LGBT法案についてZOOMで語る会を開いた。

その際交わした熱い議論が大変心の支えになったため、10月末、同じメンバーに声をかけて、今度は「2020東京オリンピック」語る会を開催した。不祥事の多発や「多様性」スローガンの薄っぺらさに色々モヤモヤするところがあったので、一度腰を据えて議論してみたかったのである。

今回は、2回目ということもあり、前回より自由な形で議論を行うこととし、冒頭の当方からの説明は、オリンピック関連の「イイ感じの記事」と「モヤる記事」に交互に触れ、議論の基礎となる知識の共有と、開催時の思い出の想起を図るに留めた(下記資料参照)

上記PDFより一部抜粋(「イイ感じの記事」の一例)
上記PDFより一部抜粋(「モヤる記事」の一例。上記「イイ感じの記事」と対になるように構成した)

2.当日の主な議論

当日の主な議論は以下のとおり。

(議論初期)オリンピックは「わかりやすい」多様性要素(レインボードレス、「Chosen Family」等)を表面的に取り入れただけで、根本的な変化(LGBT法案の成立等)には繋がらず、レガシーは残せなかったという話に。
 パラリンピックも、「自立」概念の偏重(「障がい者でもこんなにできる!健常者も人に頼らず頑張ろう」的な、自己責任論&自助強調論)の側面が目立ったとの認識を共有した。

(議論中期―①)なぜオリンピックがレガシーを残せなかったのかの理由として、オリンピックの意思決定を行った人々が、問題が色々あるのはわかっていても、同調圧力から黙っていたのでは、と考察。

「皆が問題だと思っていても、率先して変えようと言い出す人がおらず、残り続ける」弊害が日本社会には多いという議論を交わした。

(例)投票について、文字を書くことが困難な人がいるのに候補者の名前を手書きで書かせるシステムや、性別違和を抱える人がいるのに見た目で性別を判断する仕組みが「伝統」として残り続けている)

(議論中期―②)
・オリンピックは「わかりやすい」多様性要素を取り入れただけ、という議論から発展して、今の社会は「わかりやすさ」に重きをおきすぎて、ステレオタイプや偏見を生んでしまうのでは、という意見が出た。

(例1)テレビのテロップや映画のポスターの過剰な文字びっしり感(解釈の余地を許さない雰囲気)、街中でのキャッチコピーの氾濫
(例2)LGBTなどのマイノリティを攻撃する人の多くが、ネット等で見た「わかりやすい(けれど間違っている)」言説に飛びついている

(議論後期)真の多様性社会実現のためには、オリンピック・パラリンピックに代表されるエイブリズム(「自立」に絶対的な価値を置く考え方)から脱却し、個々の市民が「自律」できる社会(※)を目指すべきではないかとの議論に集約された。
(※)ここでいう「自律」とは、社会の同調圧力やわかりやすい情報に流されず、学習や周囲の人との交流・議論・共助を通じて、自分の意見を持つ(=自己決定を行う)こと。

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3.会合を終えての感想

今回、会合を終えて、【モヤモヤを言語化することの重要性】を強く感じた。東京オリンピックの開催中、ずっとモヤモヤしていたが、仕事の忙しさの中で、言語化する機会を持てずにいた。今回、改めて他者と議論したことで、自分のモヤモヤがオリンピックだけではなく、もっと広い日本社会の因習や、多様な解釈を拒む雰囲気に向けたものだったと気づくことができたし、その解決策も話し合えた。

だからと言って、日本社会がすぐに180度変わるわけでは勿論ないけれど、形のない怒りや苦しみとして渦巻いていたものが、自分の中で綺麗に像を結んだ今、オリンピックへの漠然としたモヤモヤは、具体的な決意に変わった

これからも沢山モヤモヤするだろうけれど、本ブログの執筆を含め、言語化する努力を惜しまないようにしたい。その努力はいつか、現実を動かす大きな推進力になると思うから。

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